1999年に出版された、糸数貴子・新垣栄・西智子・砂川秀樹の共著『窓をあければ』(ボーダーインク)からの再掲です。
この本は、1997年7月から一年間、琉球新報に掲載されたリレーエッセイをまとめたものです。20年以上前の文章だけど、このときの考えは基本変わっていないなぁ、と思いました(ほんのわずかですが、文意の変わらない範囲で言葉を足しています)。
なお、カミングアウトについて書いている部分に関してですが、、当時も今も、それぞれの人が自分にとって良いことかどうかを選択することであって、することが「正しい」と思っているわけではないです。社会をひとくくりにして、「できない社会」と語られることへの疑問として書きました。
世間
社会において支配的な力を持つジェンダー/セクシュアリティ観を壊すようなことを言うと、そのような考え方を否定するために、「でも世間では」とか「そうは言っても、社会では」という言葉がよく使われる。
では、新しいジェンダー/セクシュアリティ観を語る僕は、「世間」や「社会」に含まれない存在なのだろうか? そうなら、一体どこから、僕はそれらの言葉や思想を学んだんだろう? 一体どこに存在する人達とそれを語ってきたのだろう?
カミングアウト(自分がゲイやレズビアンなどであることを伝えること)に関して、沖縄にいるゲイの友人たちは言う「東京ならできるかもしれないけれど、沖縄では無理だよ」、東京にいてカミングアウトしない人はいう言う「日本ではできない」。
そんなふうに語られる「世間」や「社会」、「沖縄」や「日本」って何なのだろうか。本当にその人たちが言うように、僕が伝えるジェンダー/セクシュアリティー観が通用しない、カミングアウトが不可能な、確固たる実体として存在しているのだろうか。
しかし、少なくとも、次のような事実がある。僕のジェンダー/セクシュアリティー観に影響与えた先達がおり、それを共有できる人たちもたくさんいて、当然、その全ての人が「世間」や「社会」の一部を構成していると言うこと。また、僕は、東京においても、故郷である沖縄においてもカミングアウトしているが、それを両地の少なからぬ人たちが受け入れているということ。
そう、そのような事実は、「世間」とか「沖縄」いった言葉で語られるものが、決して一枚岩ではないということを明らかにしている。そこでは、様々な価値観や生活、それを体現する様々な人間がひしめき合っているのだ。
「世間/社会/沖縄/日本では」という言葉とともに語られていることは、それを口にする人が内面化した一つの価値観に過ぎない。だから、そんな言葉を恐れる必要は無い。その人の生きる「世間/社会/沖縄/日本」を退け、自分にあった「世間/社会/沖縄/日本」を探せばいい。あるいは、それを作り出せばいい。どこかに必ず、自分と手をつなげる人がいるはずだ。
そのためには、まず声を上げること。多くの女性を含め、マイノリティーは声を奪われがちだった。また、声を上げる事は恥ずかしい事と思い込まされてきた。しかし、一旦、声を上げれば、それは別の声を招き、自分の支え、さらに多くの人を励まし、社会を変える確かな力となっていく。
だから、支配的価値観によって自分が生きづらくなっているなら、抵抗する声をあげよう。新しい希望を語る声をあげよう。小さな声でもいい、弱々しい声でもいい。自分の声をあげよう。そう、自分を信じながら。
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