小長谷有紀・ 鈴木紀・旦匡子 編 2016 『ワールドシネマ・スタディーズ 世界の「いま」を映画から考えよう』(勉誠出版)に寄稿した文章を若干修正して再録
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▼織り込まれる時代の変化
『人生はビギナーズ』は、マイク・ミルズ監督自身の実体験を元につくられたと言われている。そのせいか、この映画は、ライフヒストリーという研究手法を思い起こさせるものとなっている。
ライフヒストリーとは、個人の人生の歩みを聞き取りながら、その生について、またその人の生きて来た世界や時代性などを記述し、考察するものだ。
この映画には、主人公オリヴァーが恋人/パートナーとなる女性と出会い、その関係性を模索している現代から、彼の父親であるハルが、ゲイであることを自覚しながらも女性(オリヴァーの母親)と結婚した時代が振り返られる。
そうした振り返りは、ハルが、妻が亡くなってから、息子にゲイであることをカミングアウトし、自分らしく生きようと、新しい人生を始めることに始まる。
そして、そうして振り返られる家族の物語には、半世紀の間に大きく変化してきた、米国での性に対する価値観、性別の役割等の歴史が織り込まれている。
▼同性愛者が抑圧された時代の中で
この映画は、恋人と安定した関係を築けない経験を積み重ねてきたオリヴァーの視点から描かれているが、ゲイであることをオープンにして研究や社会活動をおこなってきた私には、ゲイ/レズビアンを取り巻く社会の変化と、それを生きてきた父親のことが前景化して見えた。
1950年代の米国では、ゲイやレズビアンの権利運動グループが誕生する一方で、「マッカーシズム」と呼ばれる、共産主義者や同性愛者が公職からの追放される動きが激しさを増した。
その時代に青年期を迎えていた父親は、ほんとうは同性が好きだったにもかかわらず異性と結婚するわけだが、時代背景を考えれば、それはごく普通のことだった。
▼解放運動の興隆
その状況が大きく変わり始めるのは、1960年代の終わりだ。
1969年6月28日未明、ニューヨークにあったストーンウォールインという、今でいうところのLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー*)が多く集まるバーに警察の手入れがあった。
当時は、このようなバーに対して嫌がらせ的な警察の手入れがしばしばあったのだが、この時はいつもと違い、客が連行に抵抗を始め、数日間も続く暴動に発展した。
この蜂起に全米のLGBTは大きく力づけられ、この動きが、米国のLGBT運動を盛んにしたと言われている。
そして、この反乱を記念して1年後に全米各地でパレードが開催された。
それが現在世界の各地で開催されているプライド・パレード(LGBTのパレード)のきっかけとなったと言われている。
現在、世界各地で六月の最終週にLGBTのパレードがおこなわれることが多いのは、このためだ。この映画でも、父親がパレードへ参加する様子が描かれている。
このようなパレードがプライド・パレードと呼ばれているのは、社会全体の抑圧や差別の中で失われてきた/失われがちなプライドを取り戻したり、示したりするという意味がある。
この映画の中で、父親は、まさにその過程を経験しているように見える。
▼結婚の平等化
ゲイ/レズビアンをめぐる社会状況、特に同性カップルの位置づけは、その後さらに大きく変わっていく。2000年代以降、米国で「結婚の平等化」(同性間の結婚の実現)が、次第に大きな社会的テーマとなってきた。
1997年にハワイ州でドメスティックパートナー制度(結婚に準ずる制度)が導入され、2004年にはマサチューセッツ州で同性間の結婚が認められるようになり、その後、同性間の結婚が認められる州が急増する。
2013年には、連邦政府の最高裁判所で、結婚を異性間に限定するのは違憲であるという判決も出され、2015年にはついに全米で結婚の平等化が実現することになった。
この結果だけをみると、同性間のパートナーシップの法的保護の動きは、主にここ20年の動きに見えるが、1980年代から、それを求める動きは活発になっていた。
その背景として、米国の歴史学者ジョージ・チョーンシー(2006)は、レズビアンカップルで子育てをする人が急増し、その子の法的な位置づけが問題になり始めたこと、男性同性間のセックスでHIV感染が広がり、ゲイ・コミュニティに破壊的な影響を与え、カップルの法的保護が必要になったということを挙げている。
映画の中で父親が息子にカミングアウトした1990年代は、HIV/AIDSの深刻な影響を受けながらもまさにその運動が成熟し拡大していく時代だが、そのような時代の中でも、父親はパートナーとの関係を、そのあり方を模索しながらも享受していように見える。
▼異性カップルの変化
もちろん、セクシュアリティに関連して変化が起きたのは、ゲイ/レズビアンだけではない。異性愛者も同様だ。より大きな文脈では、イギリスの社会学者アンソニー・ギデンズ(1995)が指摘していることがあげられるだろう。
それは、現代社会では、結婚において、社会的な役割や経済システムに組み込まれるという意味や機能が低下し、その代わり、カップルが親密な関係性を意識しながら結びつき、それを継続することから満足を得ることに重きが置かれるようになっているということだ。
これは、結婚において親愛感などの感情が中心的な役割を果たすことを意味する。そのため、異性間の関係も不安定さを増してゆくことは免れ得ない。なぜなら、個々の感情や感覚は、社会的な制度や役割よりもはるかに変化しやすいものだからだ。
また、もう一つ異性カップルの関係性の変化で指摘しておかなければならないのは、女性の生き方が変化してきたことだ。
米国では、1963年にベティ・フリーダンが『女らしさの神話』を出したことを一つのきっかけとして第二波フェミニズム運動が盛んになった。
そして、家庭外の賃金労働に就き、パートナーの男性から経済的にも自立した女性が増えてきた(男性との格差は、まだまだあるにしても)。これにより、女性が自分の力で生活を営んでいける可能性が大きくなった。
▼同性カップルと異性カップルの交差
そのような自立し合った関係ゆえ(どちらかがどちらかに依存しない分)、ある意味で別れやすくなった関係性(私は破綻しても〜時に暴力を受けながらも〜続けざるを得ない関係を考えるならば、それは悪いことではないと考えている)は、ゲイカップルが長く関係が続かないと言われてきたことと重なる。
これまで、同性カップルは、長らく法的な枠がなく、家族関係を含め、お互いをそれまでに築いてきた親密な関係性に組み込むこともなく、また、偏見と抑圧にさらされていた。
ゆえに、ある意味で、関係性を継続することが困難であったのは当然だったとも言える(それでもなお、同性カップルにも、長年パートナーシップを築いている人たちも少なからずいることは強調していおきたい)。
しかし、異性カップルにだけ与えられていた権利である結婚など、法的、社会的に承認を得たパートナーシップを手に入れつつあることで、同性カップルも異性愛カップルの状況に近づいている。
そのような、ゲイの変化と異性愛者の変化が交叉するところにこの映画がある。だからこそ、この中で同性カップルと異性カップルを重ねて描くことが可能になったのだ。
日本で、これまでの半世紀を意識しながらゲイを描いたとしたらどうなるだろうか、そんなことを想像し、この映画と比べてみると、現在の日本のセクシュアリティの問題を再考することができそうだ。
参考文献
ジョージ・チョーンシー(上杉富之・村上隆則訳)『同性婚』(明石書店、2006)
アンソニー・ギデンズ(松尾精文・松川昭子)『親密性の変容』(而立書房、1995)
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